ワークバランス講演会 第12回講演会 ワークライフバランス検討委員会特別企画

第38回日本小児外科学会秋季シンポジウム
ワークライフバランス検討委員会主催(日本医師会女性医師支援センター共催)
第12回講演会「医療と文学の見地から見た現在の医療について思うこと

講師:海堂尊氏(作家・医師)
日時 2022年10月27日 17:30~18:30
会場:岡山コンベンションセンター

【講演要旨】
導入:
コロナ感染拡大以前、医療や医療者は世間から厳しい目が向けられていた。しかし、コロナ対応において温かい目で見られる場面も出てきたように思う。小説家として思うのは、医療者が正しいと思ってやっていることに関して、根底的な理解が異なるということである。医療従事者は常識のレベルと一般社会との間に齟齬が生じている。医療者が「言わなくても分かっているだろう」と思うことが一般には理解されていない。そういう意味で小説では読んでいる方が、医療の現場のことを親身になって自分のこととして考えることで、「医療従事者は、こういうことを考えているんだ。」という観点を持つことができる。相互理解に寄与するということが物語の非常に重要なところなのだと私は思っている。

AI(Autopsy Imagingについて):
そのことを一番実感したのは、私が提唱したAI である。病理解剖は、私が主張していた当時で、解剖率 2%、今は1%程度ではないだろうか。100人に1人は死因が判断できていないという状況をどうしたらいいのか。画像診断をすればいいではないかというのが、私が思いついたアイデアだった。私は外科医から病理医へ転籍し、主に病理解剖を行っていた。ところが、「病理解剖では治療効果判定はできない。」と考えるようになり、それを論文に書いて病理学会に投稿した。癌の治療効果判定というのは、臨床の場では画像診断で行っている。一方、死亡したら病理解剖する。病理解剖は、画像診断と同じようなディメンジョンで判断できない。生前の臨床との比較ができない。そこである日ふと思いついたのが、亡くなった時に画像診断をしたらいい、ということであった。その最後の画像診断と病理所見を対応させればより精密なものになる。医療と患者にとって、AIの導入はメリットしかないため、AI学会も立ち上げてAIの振興は順調に進んでゆくかに思えた。しかし、AI学会を立ち上げる際に、①医療は現場で実施、②費用は医療現場に支払われる、③得られた情報は市民と社会に公開するという3つの原則を主張したことで、司法の反発を招き、AIの社会への導入に対する風当たりを一身に受けるようになり、その一線を退いた。そのうちに小説のネタが降りてきて、「チームバチスタの栄光」が出来上がった。このおかげで、AIに関する認知度はあがり、最終的には、日本医師会がコミットして毎年その研修会をやってくれるということが継続している。

小説家の前提としての「外科医」:
私の基本はその病理医になっても、作家になっても、「外科医」にあったという気がしている。それは、外科というものが、手術という、大変にはっきりした治療法を持っており、その結果に責任を持つ。そういう覚悟の仕方は、外科医は内科医よりも強いような感じがしている。いろんな曲面でみると、世の中最後はやるかやらないかというところに帰結するわけで、最後に「よしやろう!」と背を押してくれたのが外科医時代の色々な経験だったと思っている。

日本の医療ついて:
アメリカでは、治療受けるのに経済的なことが大きな条件になり、お金がないと治療を受けられないといったようなことはよくある。対して、日本は国民皆保険になっており、それによってお金がなくても、治療を受けられないことは極めて少ない状態になっている。これは、日本が世界に誇っていい利点だと思う。私は、日本の医療は世界一だと思っている。
120点のすごい最先端治療は、アメリカが一番かもしれない。それから、本当に全ての人に平等にという意味では、キューバの医療が一番かもしれないが、日本は 80 点の医療を 80% の人に行うことができる。社会の人たちにとって最大のベネフィットになるような医療システムが構築されている。ただ、この素晴らしさが、なかなか一般には伝わりにくい。小説を書くための取材を通じて、病院で患者さんに対している時とは違う目を持つことができた。社会から出てくる医療に対する不満は、実は医療をより良くしようという欲求からきていることもわかる。そうすると医療をダメにしていくようなものに対する怒りというものが出てくる。つまり、私の場合は政治と行政に対する怒りが強く出てきた。
最近では、コロナ感染の対応が挙げられる。未知の感染症なので施策の失敗や試行錯誤は当然である。その失敗の記録を隠し、検討せず、フェイズを変えることをしなかったことは医学的見地から容認できない。医療や医学というものを政治におとし込むと、なぜそんなことになるのか。政治が医療の上位にあることが問題だろう。医療にまつわる小説を書いていると、多くの情報が集まるため、ある仮説が見えてくる。それは、この国が、発した発言・宣言に責任を持たず、社会の底が抜けてしまった、という仮説である。そんな中で、医療の現場は希望の光である。医療がなぜ日本の社会と同じように底抜けにならないのかというと、医療が対応しているのは患者さんであり、病人である。そして、医療のモチベーションは病人を治して幸せにしたいということ。そこがぶれてないことは、今の医療現場を遠くから見ていても確信できる。私は小説を書くことでそれを社会に伝えたい。

(海堂尊氏講演の録音記録から。)

外部リンク

  ご寄付のお願い バナー広告の募集