ヘルニア医者-遠藤昌夫
私が,小児外科医を目指した動機は,インターン時代に遡る.今の臨床研修医1年目のスーパーローテに相当する1年間を聖路加国際病院で過ごした.医学部を卒業したというよりも体育会公式庭球部を卒業した身にとっては,なにもかも新鮮で鮮烈な臨床経験の1年であった. 最初は,クイズの謎解きにも似た内科にあこがれた.診断のついていない入院患者を迎え,診察を終えると図書館に走った.臨床カンファレンスでの諸先輩のあふれる知識に驚嘆させられた.しかし,一段落すると,患者の年齢層の高さ,診断がついたあとの治療法選択の狭さに,目からうろこが落ちた.産婦人科はお産を30もとりあげたらいやになった.外科は患者の年齢層が若く,治療に成功すると,見る間に元気になって退院していくので,社会に対する貢献度が高いと思った. 父は小児科を開業していたので,なんとなく小児科に進む予感がしていた.しかし,病棟しか見ないインターンにとって,小児科の病棟はつねにガラガラで,その先に見えるものに限界を感じた.ちょうどその時,鎖肛術後に合併した直腸尿道瘻で,今回が4度目の再手術という男の子が入院してきた.手術を終えた外科部長が「やっと手術に成功した.これでこの子は苦労から解放される」と喜んだのも束の間、また直腸から尿が流れ出し,「なんて難しいんだ」とため息をつくのを見て,これこそ俺が目指すべき道だと啓示を受けた. それから37年間,車の両輪として外科代謝学を勉強するかたわら小児外科の臨床に携わってきた.折からベビーブームの到来で,小児外科医としては難しい新生児の手術や乳児期の根治手術など,非常に多くの貴重な勉強の機会を得ることが出来た. 一方,小児外科医がおこなう手術の30~40%はそけいヘルニアであり,新人の登竜門になっている.一人前になると,ヘルニア手術は消化試合というか,残務整理というか,「なんだまたヘルニアか,チャッチャト片付けておこう」という領域に入る.しかし,ヘルニアを馬鹿にしてはいけない.ヘルニアサックと間違えて膀胱を亜全摘した例を含めて1~2%の合併症が報告されている.また,成人の泌尿器科領域における男性不妊の原因に,幼少児期のヘルニア手術が挙げられている. 私は,小児外科医になって間もなく,小児外科医はヘルニアに始まりヘルニアで終わると感じ,最後は一般病院の小児外科医として,ヘルニアの手術をして暮らす夢をみていた.小児外科医の終盤に差し掛かった頃,大学を辞して現在の病院に移った.大学では常に,データを追い求めていたが,そけいヘルニアから得られるデータはなかった.そんな時に,腹腔鏡によるそけいヘルニア手術の存在を徳島大学の嵩原裕夫先生から教わり,いろいろ工夫を重ねて独自の方法を編み出した. その昔,消化業務であったヘルニア手術が,現在は非常に新鮮なものになっている.ヘルニアから得られるデータは最早ないと思っていたのに,腹腔鏡下のヘルニア手術からは,優に数人の医学博士論文を仕上げるのに足るデータが集まっている.日本小児外科学会から名誉会員の称を頂き,院長職も佳境に差し掛かっている現在も,興奮しながらそけいヘルニア手術に関わっていられる自分は,なんて幸せ者なんだろうと思う. |
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日本小児外科学会名誉会員 慶應義塾大学医学部客員教授(外科学) さいたま市立病院 院長 遠藤昌夫 (えんどう・まさお) 1965年 慶應義塾大学医学部卒業 1965年 聖路加国際病院にてインターン 1966年 国立東京第二病院(現独立行政法人国立病院機構東京医療センター) 1972年 国立小児病院(現国立成育センター) 1977年 慶應義塾大学助手(医学部外科学)小児外科学・外科代謝学専攻 1982年 医学博士(慶応義塾大学 第1339号) 1990年 慶應義塾大学専任講師(医学部外科学) 1996年 慶應義塾大学助教授(医学部外科学) 1996年 浦和市立病院(現さいたま市立病院) 副院長・小児外科部長 2003年 さいたま市立病院 院長 日本小児外科学会 指導医(1981) 日本小児外科学会 監事・名誉会員 全国自治体病院協議会 常務理事 Pacific Association of Pediatric Surgeons (PAPS) member |